栗の木



  昔、栗太郡(くりたぐん)に栗の大樹が一本生えておりました。木の高さは、雲を突き、木の周りは五百人が手をつなぐ大

きさでした。木の影は、朝は丹波(たんば)の国に、夕には伊勢(いせ)の国までさして、近江(おうみ)の国のうち志賀(しが)、

甲賀(こうが)、栗太(くりた)の三郡は木陰のため日が当たらず、作物が実りませんので、時の帝(みかど)に訴え出ました。

  帝はさっそく、武将の掃守宿禰(かもりのすくね)をお遣わしになったのですが、大勢の者を集めて朝早くから栗の大樹を

切りにかかりましたが、八分目ばかり切った頃には夜になってしまいました。

  「あと二分は、明日早く切ることにしよう」と、人々は帰って行きました。でも翌日来てみると、栗の木は元のままになって

いて、切った本の傷さえありません。ふしぎなこともあるものだと、またその日も栗の木を切ることにいたしました。

  また昨日のように、あと少しというところで日が暮れ、皆は疲れて帰りました。こんなことが毎日続きますので、誰もが恐

ろしくなって切る者がなくなりました。武将の宿禰はいろいろと考えて、一晩栗の木を見張ることにしたのです。そうすると、

真夜中にザワザワと大きい音を立てて、栗の木にすがっていた幾百という蔓(つた)の精(せい)が懸命に、赤い小さい舌で

栗の傷口を舐(な)め始めました。

  「早くしないと夜が明けるぞ」

と、蔓の精の首領が皆を励まして、朝日の出る前に、すっかり栗の本の傷口をもと通りにして引上げて行きました。宿禰は

さっそく蔓草を刈り払って、とうとう栗の木を切り倒すことに成功しました。

  切られた栗の木は、七日七夜焼かれました。その栗の本を焼いた灰が灰塚山だということです。

                                           (栗東町教育委員会編集『栗東の民話』(1980)より)