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まなびやグループ

【栗太八景】
 栗太八景とは、江戸中期に、慶崇寺(現・栗東市大橋)の致遠(ちおん)が近江八景になぞらえて作った漢詩です。八景とは、 蓮台寺晩鐘赤坂帰樵上野夜雨金山暮雪伊勢落晴嵐松島秋月手原行人砥山夕照です。国際情報高校からも指呼の間、下鈎から伊勢落までの東海道沿いに集中しています。
 現在の栗東市、草津市、大津市の瀬田川東岸、守山市の一部を、昔は栗太郡と呼びました。平成13年の栗東市誕生により、栗太郡はなくなりました。郷土の文化に関心を持ち、栗太の名を伝えようと、NPO街道まちづくりの会では「栗太八景」を水墨山水画に描かれました。この水墨山水画は、現在、葉山川手原橋の欄干に陶板画として設置されています。
 ここでは、水墨山水画と書き下し文を紹介するとともに、高校生による鑑賞文(漢詩の大意と感想をあわせた文章)を添えました。

蓮台寺晩鐘 樹老い径荒び煙水清らか  蓮台の遺跡の名は朽ちず
楼鐘は猶緑の苔地に有り  黄昏に撞出(つきだ)せば数声至る

蓮台寺の夕暮れを告げる鐘
 樹木は老いて古くなり、小道は荒廃し、霧の立ちこめた水面は清らかで静かである。寺の跡を遺すばかりとなって、周りの様子は変わってしまったが、蓮台という名前は朽ちてはいない。そして、釣り鐘は今も緑の苔の生えた 地に立っている。
  黄昏の頃、鐘をつき出せば、農作業をしていた人々に鐘の音が届く。「そろそろ時間だな〜」、「今日の農作業はこれで終わろう」、そんな声が聞こえてはこないだろうか。釣り鐘は今もなお人々の暮らしの中で生きており、これからも続いていくことだろう。(M,M)

赤坂帰樵 煙霞暖を帯び風和ぎ静か  赤坂の春情興じて窮(きわま)らず
詩客眸(ひとみ)入日色斜めなり  帰る樵も又見る白雲の中

 とある名もなき詩人は夕暮れ時に、小野にある赤坂を登っていた。仕事を終え、赤坂を降っているひどくつかれた様子の木こりとすれ違った。その日の春がすみは一日の疲れを癒すような暖かさを帯び、和らかな風は帰り道を案内しているようである。

 赤坂から見る景色は、いつ見てもとてもきれいだな。

 と、詩人はふと坂の下をふりかえった所、彼の眼の前には、太陽が霞のなかに沈んでいく大変美しい情景であった。さきほどまで、坂を降っていた木こりも足を止め、その景色をじっと見つめていた。(R,W)

上野夜雨 茅屋は寂寥なり上野(かみの)の郷  村前と村後には雨声長し
隠晴定難し雲来りて去る  是(これ)疑い今宵月光を尋ねん

上野の雨が降る夜
 茅葺の家がポツンとあって、ものさびしい。ここは上野の郷という。次の雨がやって来て、さっきの雨が通りすぎていくことが、雨音の長さからわかる。月に雲が隠れたくらいじゃ、明日雨が降るのか、晴れるのかを見定めることは非常に難しい。なぜなら、その雲が去ったとしても、また別の雲が来るからだ。それは心配にもつながる。今夜は、雲が月を隠すことなく、月の光を見ることができるだろうか。
 この詩碑は、国際情報高校から2.0kmくらいのところにある長徳寺というお寺にある。お寺の前の道は旧東海道となっているので、沢山の観光客がよく歩いている。(Y,T)

金山暮雪 遠くに見る金山(かなやま)白雲在り  四峰は玉の如く雪が紛々
暫藜杖を支えに行路尋ぬ  漸門を扣(たたく)月下の文に至る

金勝山の夕暮れの雪
 金山暮雪の詩碑は、致遠が住職を務めていた慶崇寺と同じ栗東市大橋の三輪神社に建っている。
 金勝山に白雲がかかっているのを遠くに見ている。四峰(金勝山、竜王山、白石峰、鶏冠山)には、玉のような粉雪が吹雪いている。しばらく杖をたよりにして行く路をたどる。やっと「僧は敲く月下の門」という文にあるように、僧である私も寺に帰ることができた。(H,N)

伊勢落晴嵐 梅痩せ柳疎にて柴扉鎖(とざ)す  簷外は半ば晴れ野草肥ゆ
山色の末分の雲気は晴れ  一声鳥啼き霧破りて飛ぶ

伊勢落で霧が晴れた
 梅は細く、柳は手入れをして透いているほうが趣きがあるらしいが、柴の扉を閉めている。のきの外は少しずつ晴れてきて、野草が生い茂っているのが見える。山を見ると、頂上の雲は晴れている。鳥が一声鳴いたかなと思うと、霧の中から飛び立っていった。
 霧が晴れると野草が生い茂っているのが見えたり、山の頂上は雲がないのがわかるように、隠しごとをしても後々ばれることを表見していると思った。鳥が一声鳴いて、霧の中から飛び立っていったように、後々逃げたくなるから、隠しごとをしない方がいいと思った。(M,E)

松島秋月 従来勝処に緑雲の団あり  一鏡高く懸り翠巒(すいらん)を照す
往日何人か此地に遊ばん  更に感慨を生(おこせ)ば暁風寒し

 美しい秋の月、しみじみと思いをめぐらすと、夜明けの風は寒いといった訳になると思います。晴れた日の秋の夜の情景が描かれていると思います。きれいな月を見ながらしみじみと思ってると、夜の風は寒いと感じたと思います。
 松島は、栗太八景の中で唯一場所がわからない景色です。しかし、栗太八景の中にはあるので、いずれ、この人が見た景色を私も見てみたいと思いました。(R,N)

手原行人 雨は寒く塵の路手原辺り  客の袂は涙に霑(ぬれ)る万里天
終日鞭を著け痩馬を馳る  往来故(ふる)くから有り幾年々

 栗太八景のひとつである「手原行人」は手原稲荷神社に石碑が残されています。この漢詩の大意は、雨が寒い頃、ほこりっぽい手原の辺りに泣いている旅人がおり、一日中痩せるほど走らされる馬が通る道路は何年も前からあるといった感じです。では、なぜ旅人は泣いていたのでしょうか。私は、もう少しではるか遠くに旅立つ予定の旅人が手原のなじみなれた土地に思いをよせ、その土地の人々との別れを惜しみ、涙を流していたのではないかと考えました。(みなさんもぜひ理由を想像してみてください。)この詩から道路だけでなく、人の別れも昔からあるものだということをしみじみと感じられました。(M,M)

砥山夕照 山下の孤村虹蜺横たわる  雨収り煙絶え前程に趍(おもむ)く
村人は策を執り馬蹄疾し  夕日惷(みだ)れる時晩晴を報ず

 山のふもとにある村に虹がかかり、それが雨が止み作業に戻る合図である。村人たちは休んでいた時に使っていた火を消し、雨で遅れた分を取り返すために急いで作業するために馬にムチを入れ作業のスピードをあげる。が、慌ただしく作業を進めていると、夕日がきれいに見え、夜が晴れることを教えてくれる。
 この漢詩でうたわれている「夕日惷れる時晩晴を報ず」という部分は今でも言われている「夕日がきれいな日の次の日は晴れ」という言葉になってずっと伝わってきているものだと思う。300年後に私たちが伝えられることはあるのだろうか?と考えさせられた。(R,F)

 水墨山水画制作 武村 悦子 氏(NPO街道まちづくりの会)